1986年。 バブル時代を予感したように海外の大物アーチストが来日した年だった。
そして、その夏にブラジルから大物がやって来た。
ボサノバのマエストロ、The Girl from Ipanemaを含め数百曲のボッサの名曲作曲・演奏したAntonio Carlos Jobimだった。
大物ラッシュの一環。そして、1960年代後半に日本でブームとなって以来、すっかりシーンから姿を消していたボサノバ。 ボサノバとは、今(当時)で言う、AntenaやViktor Lazroなどの原型となったもの、とTVでも来日に先駆け紹介されていた。
自分にとっては、それまでTamba Trioから入り、梅雨明け前の早朝、友人宅で聴いたアストラッドですっかり虜になり、Bossa Novaは特別な音楽だった。
8月3日、コンサート2日目。遅い午後、夕方から夜になるような光と影がおりなす時間帯に、我々は初めてのJobimを体験した。 大人数。 決してテクニックに走らない。でも、何しろ楽しいライブだった。
ピアノを弾いていた彼女と連れ立って日比谷に向かった。
samba do Uma nota soで見せた5人のユニゾンコーラス。圧倒的だった。
Dindiでは「ボサノバは日本のよう。やさしく、控えめな音楽」
近作Passarimからの曲も。 Two Kitesのコーラスは見事だった。
晩年のJobimはボサノバを作る意識は薄れ、ワーグナーの世界に浸っていたという。
シンフォニーをバックにした映画のワンシーンが頭に浮かぶ。
そして、Samba do Aviao(ジェット機のサンバ)の紹介はこんな風だった。
「私の妻の名前はANA,日本では航空会社の名前だと。奇遇ですね」
Danilo Caymmiのコーラスから始まるこの曲。
見事だった。大家族のようなバンドで聞かせるユニゾンコーラスとバンドの演奏。
この歌の中のRio De Janeiro、そしてブラジルのハブ空港のガレオン空港は、彼の死後5年ののち、Antonio Carlos Jobim国際空港、と 改称された。
そしてGarota di Ipanema, Agua do Marco..........
最後のアンコールSamba do Uma Nota soのコーラスとピアノ、フルートのユニゾン.....
Antonio Carlos Jobimの最初で最後の来日。
忘れられない、ライブになった。
そして、その後の日比谷公園。 ライブとは裏腹な、連れとの心のすれ違いが・・・・
そして、近づく台風の中、自分は台風が心の中を吹き荒れたような思いで仲間と群馬の山に合宿に出るのだった。。。
コンサートプログラムの一部を初公開させていただきました。
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by i-coast
| 2010-08-08 00:29
| music